春日井家庭教会日曜礼拝説教「私たちの存在名分は感謝と実績」

今日もいいことありました?

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本日の春日井家庭教会の日曜礼拝は教会長による説教「私たちの存在名分は感謝と実績」でした。

訓読部分はこちら。
ヘブライ人への手紙11章1節
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確認し、まだ見ていない事実を確認することである。
ルカによる福音書17章11~19節
イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、重い皮膚病にかかった十人の人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。 それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。
み旨の道 信仰生活
得たものも失ったものも知らない者には、それ以上の勧告は必要ない。我々の歴史は感謝感激の涙を流すところからなされた。

涙のない人は正統の信仰の道を歩む者ではない。悲しみの涙、申し訳ないという涙、感謝の涙を流さなければならない。これが心情の土台を開発するのである。


個人的に印象に残った部分は以下の通りです。
私を作ってくれた神様にとって私の存在意義とは?
私に命を与えてくださった真の父母様にとって私の存在意義とは?

二つある。
一つは「感謝」。命を与えてくださった神様と真の父母様に感謝すること
二つ目は「実績」。感謝をお返しする生活。

聖酒に関するお父様の御言「聖酒にどれほどの価値があると思うか。聖酒の一滴がどれだけ貴重なのか。みなさんの全財産よりも大きいのが聖酒の一滴である」
まず知ること。

み旨の道の御言にある「得たもの」「失ったもの」がなんなのかを考えてみてください。
「得たもの」はなかなか実感できない。「失ったもの」は目に見えるものばかりである。お金、時間がなくなった、友達がいなくなった、など。

「信仰者」という肩書きはあるが心の中に不平不満が芽生えて大きくなっていないか。

ルカ福音書に出てくる「らい病人」は私ではないか。

感謝できたら、その形が生活に表れるはず。それが「実績」。
天からいただいた家庭を天国にすることが実績である。

生活の中で存在名分を成就できるみなさんとなっていきましょう。

このブログをご覧になったすべての人に幸福が訪れますように。祈

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