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zoom RSS スウェーデンの麻酔医ゴラン・グリップさんが5歳の時に起こった臨死体験の証し

<<   作成日時 : 2015/12/24 22:15   >>

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今日もいいことありました?

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昨日紹介した立花隆著「臨死体験」には数多くの体験談が掲載されています。

その中で個人的に最も印象に残った部分を紹介します。「第13章 光の存在、光の世界」より、スウェーデンの麻酔医グラン・グリップさんが5歳の時に起こった臨死体験の証しです。
 体験した前後の状況のことはあまり覚えていませんが、5歳の時に、ヘルニアの手術を受けて、エーテル麻酔をされ、それがちょっとうまくいかなくて、短時間呼吸停止状態になったときに起きたのだろうと思います。

(中略)

 私の臨死体験は、いきなり光の世界に入ることではじまりました。少なくとも、記憶ではそうです。その前段階があったのかもしれませんが、何も記憶していません。光の道が、はるかな地平線のかなたまでつづいていました。その光の道のなかを私は飛んでいるのです。その向こうの端の方に行くと、何とも表現し難いものに出会いました。それは昔の街の城壁のようなものでした。しかし、その向こうに街があるわけではありません。そして、城壁には入り口がありませんでした。いや、あるにはあったのですが、鍵がかかっていて開きません。私はそこに入りたいとは思っていませんでしたから、それはどうでもいいことでした。私の目の前に『光の存在』(Being of Light)がいました。それは、光の中にある光の点でした。それは男でした。なぜそれが男とわかったのかと聞かれても困ります。とにかく、それは男であるとわかったのです。その『光の存在』は、私の心の中を見通すことができました。彼は、私がそれまでの人生においてなしてきたすべてのことを知っていました。それで私は逃げようとしました。

 私には3歳下の弟がいました。その弟が生まれたとき、私の世界は、粉々に砕けてしまいました。そのとき私は3歳でした。3歳の子供に弟か妹が生まれるとそういう心理状況になるのはよくあることだといわれますが、私の場合は、また特別の事情がありました。母は弟を生むと、産後神経症にかかり、ひどい抑鬱症になったのです。私のことなんか、まったく忘れられてしまいました。私が母親の愛情に最も強く求めているときに、母は私を無視していました。私はこれは弟のせいだ、弟が生まれたのが悪いんだと思いました。そこで、機会さえあれば、弟をぶったり、つねったりしました。玩具を取り上げたりもしました。そのうち、弟に意地悪することを楽しむようになりました。それは、ほとんど大人の犯罪者の心理と同じでした。心の奥底では、それはいけないことだ。それはしてはならないことだとわかっていながら、それをしてしまい、しかも楽しんでいるのでした。

 『光の存在』はそのすべてを知っていました。私が弟にしたことを何でも知っていました。両親が知らないことまで知っていました。それで私は逃げようと思ったのです。しかし、逃げようと思ったのは、一瞬間だけでした。次の瞬間、私は『光の存在』からたとえようもなく大きな愛があふれ出していることに気がついたのです。その愛に気がつくと、私は逃げる理由がなくなりました。それどころか、その愛のもとにとどまっていたいと思いました。

 そして、そこにとどまり、『光の存在』とともに、自分のそれまでの人生をことこまかに、一つ一つ再体験したのです。弟に対する嫉妬や憎しみを再体験しました。ときどき弟に対して感じていたあふれるような愛情も再体験しました。私が弟に意地悪していたといっても、いつもしていたわけではありません。可愛がったこともあったのです。それから、弟の気持ちも再体験しました。弟の感じていた苦しみ、痛み、怒り、そして、復讐心などが自分のことのように感じられました。そして、私がやさしくしてあげたときに弟が感じた驚きと喜びと、私への愛情もわかりました。そういう一連のできごとを『光の存在』と再体験することで、私は自分の行為の結果がどういう風に自分にはね返ってくるかがわかりました。『光の存在』は、裁きを与えるようなことは一切しませんでした。ただ私に無条件の愛をそそぎつづけたのです。私は自分を弁護する必要もなければ、弟に罪をかぶせて非難する必要もありませんでした。過去をよりよいもののように見せかける必要もありませんでした。すべてはあるがままでよかったのです。良いことも悪いことも、すべてあるがままに受け入れてもらうことができました。そして、誰も悪くはなかったのだということがわかりました。弟も悪くなかった。母や悪くなかった。『光の存在』は、私に、『実際にお前がしたこと以外、何が可能だったか考えてごらん』といいました。彼は、『お前はこうすべきだった』とさとすようなことはいっさいいいませんでした。ただ、『他にもできることがあったかどうか考えてごらん』といっただけです。彼はモラルを強制するようなことはしませんでした。

天の父母様(神様)の姿を最も正確に表現している証しではないかと私は感じました。

きっと私が霊界に行くときはこのような体験をするのではないでしょうか。

「死」は恐れるものではなく、喜ばしいことなのです。

このブログをご覧になったすべての人に幸福が訪れますように。祈

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